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コラム

定期テストの廃止について

当塾には様々な中学,高校からきていただいています.さてこの春から中学生になったある地域の子供達に一学期の定期テストの日程を聞いたところ,曖昧な返事が戻ってきました.保護者にお願いして年間行事表をみて驚きました.その中学校では一学期の間,中学1・2年生の定期テストがないのです.中学1年生は初めてのテストが夏休み明けの9月になってます.

結論から言って,私はこうした定期テストの廃止の動きに大反対です.ネットで調べたところ全国でこうした動きが進んでいるようです....知らなかった.迂闊でした.

以前から,テストが減ってきていることは感じていました.それも時代の流れかなぐらいに思っていたのですが,これって全国の中高校で進んでいるんですね.正直,驚きを隠せません.なにか一大ブームになっているようです.

日本人は右に習えが好きなので,なにか新しい改革のようなものに火が付くとそれとばかりに皆がそっちに向かって爆走する傾向がありますが,少し立ち止まってこの傾向について考えてみませんか?

私には20年前におきたゆとり教育のブームに似ているようにしか思えないのです.結局ゆとり教育はどうなりましたか?大失敗でした.当時の教科書はすごく薄くて,例を挙げると中学校地理はフランスとアメリカぐらいしか紹介されていなくて,ほかは調べ学習をしましょうとなっていました.今の中学校教科書は1990年代ごろと変わらない厚さに戻っています.

しかし頭ごなしに反対するのも大人げないので定期テスト廃止論についてネットで調べてみました.廃止の理由には大きく2つあると感じました.

一つ目は定期テストだと一夜漬けの知識でも高得点が取れるので,本人の理解が深まっているかどうかわからない.2つ目は一発勝負の成績ではなく,普段からのこつこつとしたがんばりを評価した方が良いということではないかと思います.

さてこの2つの意見に反論してみたいと思います.

定期テストは一夜漬けで点数が取れる

これはフェイクニュースです笑,すみません,真面目な話でふざけてはいけませんね.まず一夜漬けで点数が取れるとしたらそれはテストをする側に問題があるのではないでしょうか.「ここからでるよー,この問題出すよー」っていわれたら点数主義,いわゆる点取り虫の生徒はそこだけ勉強するかもしれません.

かつて当塾でもありました.英検で過去問のテストを行ったら満点だったにも関わらず本番では不合格.不思議に思って本人に尋ねると,過去問の解答,意味のない1から4番の数列を覚えていたらしいです.ご苦労なことです.

英検のようなマークシートの勉強では正解を得ることももちろん重要ですが.なぜその答えが正解なのかを考えることも大切なのです.間違いの選択肢もなぜそれだと間違いかを考えることが重要なのです.

定期テストであれば,ただ授業や副教材で使っている問題集からの丸写しを問題として出すのではなく,それをひねって少し変更させた問題を,優れた教師は作るはずです.そうした問題に対して正解を導ける生徒は普段から考える習慣がついているでしょう.

それと定期テストは範囲が広いから良いのです.広い範囲の問題を限られた時間で解くことが大切なのです.みなさん,ラーメン屋でラーメンがでてくるのに1時間かかったらどうしますか?伊丹十三のたんぽぽではないですが,ラーメンは時間が命です.ラーメンに限らず将来,生徒が職業につくとき,求められるのは時間内に結果を出すことです.

おそらく塾に来る生徒の多くは将来ホワイトカラーに就くことが多いでしょう.そうした職種では限られた時間で書類をまとめて提出する能力が必要になります.

定期テストではこうした能力を図ることができるのではないでしょうか.例えば法律系の勉強をした方はご存知だと思いますが,たとえば司法試験に出される問題には選択肢のうち何問が正解かを問う形式の問題があります.問題を読んですべての選択肢を理解してそれを限られた時間で解く力が求められます.すなわちなぜ正解か,なぜ間違いかをすべての選択肢で考える必要があります.

ある程度法律の勉強をすれば十分な時間をかけて数問ぐらいであれば解けるかもしれません.しかし,憲法,民法,刑法,訴訟法など100問近くの問題を限られた時間で解くとなると話は変わります.かなりの学習が必要です.

法律系の職種に就くためには短時間で多くの法律問題に対応する力が求められます.それは実務において,裁判資料や様々な行政文書を限られた時間で作成する能力が求められるからなのです.

そうなのです.小テストで少しできるのと,本番試験でできるのは全く事情が異なるのです.バッティングセンターで何発当たるかを問うのが小テスト,実際の甲子園で県代表に出るのが定期テストです.定期テスト廃止で測れなくなる能力は確実にあると断言します.

それと小テストです.到達度を図る小テストこそ私には一夜漬けで対応できると考えてしまうのですが,定期テスト廃止論の方はなぜ定期テストより狭い範囲の小テストが一夜漬けできないと考えているのか,私にはさっぱりわかりません.

嫌味ではなく,定期テストより小テストは一夜漬けできないんだという理由がありましたら質問欄より教えていただければと思います.

普段からのがんばりを評価する

いきなりすみません,本当に最近の教育はこうした暴論が大好きです.こんなことに共感しているから日本はだめになっていると言っても過言ではないでしょう.がんばりってなんなんですか?授業で真剣に話を聞いているふりでもいいのでしょうか?なにを物差しにするのですか?

人は個性の塊ですが,それを誰がどうやって評価するのでしょうか?不公平になりませんか?

普段からの努力というのは聞こえが良いのですが,先生のお気に入りの生徒が評価が高いというようなことにはならないと言えるでしょうか.

私の塾はすべてコンピュータ管理しています.たとえば生徒の入室・退室も分単位で記録が残っています.たまにどの生徒が塾によく来ているか調べることがあるのですが,あまり塾で顔を見ないなと思っていても,自習にきて結構滞在時間の長い生徒がいて驚くことがあります.

塾に提出されるプリントの枚数もそうです.こちらもすべてコンピュータで管理しているのですが,感覚としてあまり提出していないと感じている生徒が実はたくさん提出していたりするものなのです.人の感覚は結構いい加減で,生徒との相性や主観で色々評価が別れてしまいます.

社会に出ると不公平だらけです.子供時代ぐらいは客観的に公平に物事を判断してあげることが重要だと思うのですか,そう思いませんか?

それとがんばりをみるというのが私はどうも好きになれません.頑張るといいのでしょうか?もちろん,そうしたものを評価することは大切でしょう.しかし,それと定期テスト廃止にして普段の様子から評価することにはならないと思うのです.

口ばかり調子が良く,要領の良い子ばかりが評価が高くなることはないのでしょうか.大人しくてひかえめで,創造性が高いためにぼんやりしている子どもの評価は低くなったりしませんか?

有名な話ですが,かのアインシュタインは小学校の成績表に「彼の将来には少しの光も見いだせない」と書かれていたとか.そのアインシュタインが光の性質についてノーベル賞をとるようになるとこの小学生教師は見抜け見抜けなかったわけです.

人の能力をうまく拾い上げるのが教育です.そのためには一人の生徒に対して多くの教師や大人が関わることなのです.そしてその生徒を様々な視点から評価してあげる,それこそが真の意味での教育であり,未来を担う子どもたちの本当の個性を組み上げることになると思うのですが間違っているでしょうか.

そうなんです.様々な教師がその生徒を評価することができるのがまさに定期テストだと私は考えています.

と,いろいろ書きましたが,定期テスト廃止派の言い分をすべて否定しているわけではありません.私がかなり誤解をしていて,現場で実施したところそれで良い面もあることに気づいている教師の方には,お前何もわかってないなとお叱りを受けるかもしれません.

ただしこれだけは言えると思います.定期テスト廃止というのであれば,しっかり納得できる議論を教師,生徒,保護者を交えて行う必要があるのではないかと思うのです.入学式にいきなりそうなりましたで納得できる問題ではないと私は考えるのですが,みなさん,どうお考えですか?

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