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コラム

研究者時代の仕事その1

30年ほど前,研究者時代に行った仕事を個人的にまとめておく.

残念ながら私には研究者になれるほどの胆力も能力もなかったため,今は田舎で塾を経営している,といっても経営者としての才能はあまりなく,なんとかやっている次第である.

ただし,誤解なく申しておけば,研究者になれなかったことは残念であったが,山鹿の土地で第二の人生として塾を開講でき,かつ,地元の方々にも認知していただけていることは感謝している.いくら日本の政治が悪いとはいえ,道から外れた人間に対しては税制での優遇措置や各種補助金があり,我が国は他国に比べてかなり恵まれた国ではないかと個人的には思っている.

話がズレたが,なぜ私が今になって過去の仕事をまとめようと思ったかということについて少し述べたい.

最大の理由は,他人がどう思おうが,わずか10年程度であった私が研究者時代に行った仕事は地球科学に将来大きなインパクトを与える自信が今でもあるからだ.研究方針については間違っていなかったと今でも思っている.それと私自身,人に説教できるほど偉い人間ではないが,研究については当時,真剣に向き合っていた自信がある.人の後追いをせず,一から全て自ら考える努力だけは惜しまなかったと自負している.

もう一つの理由は,短い期間でも,あれだけ一生懸命頑張った過去の自分の結果を残してやらないのは,過去のの自分があまりにも不憫で可愛そうだと考えたからだ.あの当時,あまり他人からは理解されなかったかもしれないが,自分なりの結果を出せたと思っている.もちろん,沢山の方のささえがあって私の研究もできたことには事実である.それには素直に感謝したい.

ここで簡単に私が大学時代,何に疑問を持って何について答えを出すことができたかを述べておきたい.私が大学院に入った最初の年ーそれは1989年になるがーに,私は指導教官からその前年にJournal of Geologyに掲載されたMarshによるCSD理論に関する論文をしっかり読んで理解するという課題を最初に与えられた.この論文はいわゆる原著論文の類であり,火成岩中の結晶サイズ分布の時間変化を物理的なカイネティクスと結びつける画期的な内容だった.

しかし,読み進むにつれて,なにかおかしいと感じるようになる.のちに,この分野の専門家と学会で話す機会があり,やはり私と同じくCSD理論に違和感を覚えている専門家が何人かいたのを覚えている.

それで私は彼の論文を精査してやろうと思い,CSD理論のもとになったRandolph and Larsonの本のコピーを取り寄せて熟読した.その結果,MarshのCSD理論には物理的な系の解釈に誤りがあることを発見した.残念なことに彼の論文は最初の式の解釈から間違えていたのですべての式がでたらめだったのである.

もちろん,この結果は指導教官とも十分協議の上,後に.Marshに直接,コメントとして送ることになる.ところが彼から来た返事は,君のコメントはでたらめだという内容で,私のコメントにすべて何が間違えているかを指摘して返すという内容のものだった.

もちろん,私の指摘に対するコメントについてもじっくりと検討したのだが,またそこでMarshは間違いを行っていた.

彼から来たコメントで一番残念だったのは彼がこれらの数式解釈の間違いを小さく評価していたことだった.その証拠に彼からのコメントには「君が地質学者なら,CSD理論に基づいて鉱物サイズを測定したり観測をしなさい」という一文が添えられていたことにある.一見もっともなようだが,私はここに地質学という学問の他の科学からの遅れを感じるのである.岩石学で権威のあるBowen賞までとった科学者が,理論の間違いを過小評価する,地質学は理論的柱がいつも過小評価されてきている,

Marsh論文に記載されてる内容は物理学では絶対やってはいけない間違いだと私は断言したい.なぜなら,物理的な系についての解釈の間違いだからだ.今,私は塾で生徒に指導しているが,物理学において系のとり方がいかに重要かを常に意識させるようにしている.物理とは,しっかりと系を定義していくことだと言っても過言ではないのだ.だから彼が過小評価している結果は決して過小なものではないのである.

さて,このCSD理論についてはのちに私を絶望させる事態に発展する.はっきりいって研究者をやめた理由がいくつかあるが,この事件が後の私の研究意欲に大きく影響したのは間違いない.

さて,コメントが突き返されたので,私は指導教官と同僚と3名の共同執筆(この3人でCSD理論のどこが間違えているかを毎週セミナーを開いて協議したのだ)という形でMarsh論文に対するコメント論文を提出することになる.

さて,査読結果はどうなったか?掲載不可である.ただしこの掲載不可がとても不公平な形で掲載不可となった.査読論文とは受け取った論文を編集長がその分野に精通している研究者に依頼して掲載可能かどうかを判断してもらうのである.私のCSD理論に対するコメント論文はこともあろうか,Marshの元指導教官の手元にわたり,査読者はMarshの弟子がするというまったくもって公平でない形で掲載不可となったのである.

最近,ワクチン界隈で,論文を示せ,とうるさい人がいるが,論文掲載は結構不公平なのである.それはみなさんにも知っていただいてもらいたい.地球科学のようなあまり利害が絡まないところでも名誉やくだらないプライドで正しい研究が潰されているのである.ましてや利害関係の深い医学の世界でそれがないと誰が言えようか?

さて,話を戻す.CSD理論についてはまだ話があるのだ.結果,私はこの掲載不可になった論文を鉱物学雑誌に日本語で掲載した.それが1995年.のちにMarshは1998年だったか(もう見るのも嫌なので年号は知らない)にCSD理論の新解釈を載せている.見ていただくとわかるが私の日本語論文と同じ図が載っている.彼はなぜ私の論文の内容と同じものを乗せることができたのだろうか?私が彼からアイデアを盗んだのだろうか?ぜひ真相をしりたいものだ.

もちろん,彼の1998年だったかの論文には私のことは一切触れられていない.

でも私にとってはCSD理論のこうしたごたごたはどうでもよいことだった.個人的には次の問題に関心があったのだ.CSD理論は溶岩中の結晶サイズに注目した理論だった.ところで鉱物が成長するとき,ある程度サイズが大きくなると他の鉱物と衝突すると予想される.こうして他の鉱物と衝突した結晶のサイズは衝突しなかった場合に比べて小さくなるはずである.CSD理論はそうした問題に答えを与えることができない.私の次の関心は,そうした効果はどれだけなのかを知る方法または理論的な基礎がつくれないかという課題に移っていた.

当時学術振興会がポスドクや博士課程の研究者を対象に特別研究員制度を設けていた.1990年,私は幸い,この制度の対象者となった.それで2年間,毎月15万円程度の給付金(返済なし)と年間30万円程度だったかの研究費をいただけることになった.経済的余裕は思考にも余裕を与える.

そこで先程の衝突があった場合の鉱物結晶分布について真剣に考察することになる.最終的に$F=1-e^{-F_v}$という式を独自発見した!これが見つかったときはかなりうれしかった.

しかしこの式はすでにアブラミの式として化学の分野で発見されていた.この式は後に金属学者(だったかな?)のJhonsonとMhelにより深く研究され,数学的に確率論を用いてKolmogorovが定式化している.彼らの頭文字をとってKJMA方程式とも呼ばれている,一次相転移の式だった.

日本では京都大学のS先生がこの問題を深く研究していることを知り,後にこのS先生の助言もあって,私はKJMA方程式の解釈についての論文を書き上げることができた.S先生には今でも感謝している.

ただし,自分で既存の式を発見するというのは決して悪いことではなく,この式の意味合いを十分理解することができたので,ここから空間相関関数を用いた問題へと理論的発展することもできた.KJMA方程式は一点空間相関関数のようなものであり,二点空間相関関数を用いることで,結晶サイズや結晶の形のようなものを定量的に見積もることが可能になる.ここまでが私が博士課程で行った研究の概要であり,これで博士号を取ることができた.

私が学部時代から博士号まで一貫して研究していた内容は岩石の組織だ.岩石学は主に化学分析に主眼をおいているが,実際,岩石を物性面から検討するときにはその化学組成だけでは不十分であり,岩石中に含まれる鉱物の大きさや形を定量化する作業が必要になる.

中学校の地学のページや高校地学の教科書を開いてもわかるように,組織面からの岩石分類は何十年も変化がない.火成岩分類は斑晶があると火山岩,完晶質だと深成岩という具合である.化学組成の分類は細かくされているにもかかわらず,結晶のサイズや大きさについての分類手法は未だに確立されています.素人考えでもわかると思うのだが,たとえば花崗岩に含まれている斜長石,石英,雲母はランダムに分布しているわけではない.それぞれの相性がある.ある鉱物同士は隣同士に来やすいとかある鉱物同士は離れて存在するとか,そうした議論は全く地学で話されないのである.

論文にすることはできなかったが,私はこうした鉱物分布についての理論的考察も行った.結果として,三相における結晶空間相関関数を求めることができた.これについてもこのサイトでいずれ公開したいと思う.

さて修士・博士は5年で卒業したが,長いポスドク期間,幸いにも私は二度目の学振の特別研究員と理研での研究員生活を送ることができた.

理研では地球型惑星の内部でのエネルギー,物質移動について一つのモデルを作ることができた.これもいずれウエッブで公開したいと思う.結論として私の計算では地球内部が熱いは従来言われている放射性物質の壊変によって放出される熱によるものではなく,地球形成時における,主にマントル−核物質の移動による位置エネルギーによおって十分説明できることを示すことができた.私のモデルの利点は,地球と金星の磁場の違いについて一つの解釈を与えることができたことにある.

すなわち,地球型惑星で地球と金星はそのサイズがほぼ同じであり(金星は地球の90%程度のサイズである),にもかかわらず金星には磁場が存在せず,地球には磁場が存在する.金星と地球の内部における元素分布にそれほどの差がないとすれば,放射性元素の壊変が地球内部の温度上昇ということであれば金星でも同様のことが起こるはずである.私のモデルでは地球に豊富に存在する海水がマントル内部に侵入することで,初期地球においてマントル対流が激しく起こり,地球深部からの熱移動がたかまる.結果として地球は形成時における急激な温度減少で地球全体,おもに上部マントルが急激に温度を下げる.初期におきた地球深部の激しいマントル対流による温度低下がおさまり,後の地球史においてはマイルドな温度変化しか起こらなくなる.結果として地球は内部が熱く,外が冷たい状況になるため,いつまでも熱いコアを持ち続けるために磁場が発生する.

もし,地球のように初期に海水が豊富にない場合はどうなるか.惑星形成時の初期段階における惑星内部の急激な温度減少は起きない代わりに,比較的温度の低い上部マントルも形成されない.結果として数十億年かけて惑星深部からゆっくりと惑星全体が冷え固まる.結果として熱いコアも形成されない.これが金星のように磁場のない惑星を作り出すという可能性がある.

最後に,私は科学者が大嫌いである.理研時代もボスとはそりがあわなかった.科学は好きだが,科学者という人種といつも反りが合わない.指導教官には今でも感謝しているが,本質的なところで彼とも私は合わないと思っている.それはそれでよいのだと今は思える.人と人とが簡単にわかり会えるほど人は単純ではない.どちらが良い悪いではなく人間社会はそうしたものであり,だからこそ妥協し合って生きていくしかないのだ.

私の個人サイトのこのようなコラムに目を通す人は殆どいないと思う.だからこそ,ひっそりと科学の片隅で何が起きたかを私はここに記しておきたいと思っている.大げさな話だが,科学の営みにおける一つの歴史的な資料にして残しておきたい.

繰り返しになるが,これだけは書き添えておいきたい.私はこのサイトの記載をもってある特定の科学者や組織の不正を正したいわけではない.科学というものはこういうものだという客観的な事実を載せておきたいとおもったのである.それはとりも直さず,若いときに情熱を掲げた私の仕事を無にしたくないという思いからでもある.

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