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コラム

教室だよりより「AIについて」

最近ChatGPTが話題です.それにともないAIに注目が集まっています.近い将来AIが人の仕事を奪う日が来ることを憂いている人々もいるようです.さて,AIはどのように進化してきたのでしょうか?その前にAIとはなにか,定義しておきましょう.AIはArtificial Intelligence(人工の知能)の頭文字をとったものです.ここで人工的な知能というからには「知能」というものがどんなものか,定義できなければなりません.例えば船とは水に浮いて移動する乗り物ですね.AIが技術の産物であれば,やはり知能を定義する必要が出てきます.ですが,知能とは何かと問われてこれですと答えられるほど知能の定義はかんたんではありません.そこでAIがAIとして認められるためには知能をどのような基準で定義し,何をクリアすればAIといえるかという問題が出てくるのです.知能について考えることは哲学です.すなわち,時間とは,生命とは,宇宙の始まりとは,といった類の問題とおなじだといってよいでしょう.こうした哲学的問いを繰り返していては永遠と知能の定義は不可能な気がします.そこである科学者は知能をこう捉えました.「もしコンピュータとやり取りしていると相手が思わなければそれは知能を持つ」と.最初の人工知能と呼ばれているものはコンピュータ史においておそらく,IRAIZA(イライザ)と呼ばれるプログラムではないかと思います.これはMIT(マサチューセッツ工科大学)のワイゼンバウムが作った簡単なプログラムです.といっても最小限の英文の構文解析機能をすでに備えていました.被験者はイライザとコンピュータ端末で会話することができます.精神的疾患を抱える患者にイライザとコンピュータ端末を使って会話してもらい,相手がどんな精神科医か,答えてもらいました.驚くべきことに殆どの患者は端末の向こうに精神科医がいたと錯覚したのです.ただしこのイライザについて断言できることは,とても知能を持っているというものではないということです.では患者はなぜ精神科医と錯覚したのでしょうか?イライザは次のように答えたのです.相手の発言に対して,つねに疑問形で返事するようにプログラミングされていたのです.挨拶のような定型文はそのまま挨拶として登録しておくことで,問題なく機能しました.たとえば次のような会話です.以下では被験者をK,イライザをEとします.「」は端末の言葉です.K「こんにちは」E「こんにちは.今日の気分はいかがですか.」K「とてもおちこんでいます.」E「落ち込んでいるんですね.なぜですか.」K「母と喧嘩をしたんです.」E「母と喧嘩をしたんですね.理由は何ですか.」K「たいしたことではないんです.ささいなことで.」E「たいしたことではないんですね.ささいなこととはなんですか.」以下云々...という感じで会話は進んでいきます.まるで人が返答しているように被験者は感じるようです.さてイライザは知能をもっていないにもかかわらず,相手は知能をもっていると錯覚してしまったということは,人工知能は簡単にまるでコンピュータが知能が持っているように人を騙せる可能性があるということなのです.この問題についてもコンピュータ科学者は早くから次のような問題提起を行ってきました.これは「中国人の部屋」と呼ばれる問題です.ある部屋に中国語についてまったくしらない人がいたとします.ただしその部屋にはすべての中国語についての言葉の応答が棚にきれいに並べてあります.中国語といえども無限にあるわけではないので,その部屋は有限の広さで足りますが,しかし,すべての返答ですのですごく大きな部屋でしょう.さて,この部屋には一箇所窓口があり,そこに中国語を書いて差し入れることができます.部屋の中の男は差し入れられた言葉と同じ文言の棚を見つけて,その棚の札を窓口から返します.その札にはもちろん中国語が書かれています.こうして窓口を介して中国語の会話が進みます.さてこのとき,この部屋の中の男は中国語を理解していると言えるのかというと理解しているとは言えません.もしこのようなことがコンピュータで行えるようになったとしてコンピュータは中国語を理解したと言えるのかというのが「中国語の部屋の問題」の本質です.この問題が提起されたのは今から半世紀前です.いまのようなインターネット環境もなく,ビッグデータも予想されていない時代に,すでにこうしたコンピュータ科学上の問題について先見の名のある問題提起がなされていたのです.余談ですがイライザは今のアップルのスマートフォンのSiriの友達だったりします(Siriに聞くと答えてくれます).さてここまで読まれた方は私がChatGPTについてどう考えているかもうおわかりですね.ChatGPTは人工知能とは言い難いと私は考えています.すなわちChatGPTのようなシステムは構文解析をして,それに最適なデータをネット上のビッグデータから拾ってきている,いわば巨大な検索エンジンの自然言語版でしかほかならないからなのです.人工知能というからには,ある種のプログラムが自発的に問題解決をしていくようにならなければならないでしょう.では最近問題になっているように,こうしたChatGPTのようなシステムは教育において生徒の知能を低下させる原因になるでしょうか.例えばすでに問題視されているように大学のレポートをChatGPTで仕上げるようなことが進めば教育会において大問題になるのではないかという問いかけです.これについては私はそうはならないと考えています.ChatGPTは使いようによってはすばらしい検索エンジン足りえます.要はどのように使うかです.技術はどんどん進みます.その技術を使うのは人です.古代ギリシャ時代,図書館ができたときに人はばかになると考えた人がいました.すなわちそれまですべて覚えなければならないことを紙に残すことで暗記能力が衰えると考えたのです.人類がパピルスに文字を書き,グーテンベルクが印刷技術を開発し大量の書物や印刷物が世に出回っていますが,古代の人より現代人は格段に優秀になっているように,技術とは使い方次第なのです.今回,我々はコロナ茶番を通して,巨大企業の思惑によって情報が簡単に捻じ曲げられることを知りました.コンピュータ技術が,ある一部の既得権益を持つ人々のプロパガンダとして利用される危険性が世界に知れ渡りました.これで良いのだと私は思います.こうしたことは歴史の先例を引くまでもなく,新しい技術革新の中で何度も見られた現象です.人は過ちを犯します.大事なのは過ちをしっかり認め,そこから学ぶことです.みなさんも,コンピュータについて深く知ってください.そして今後の情報化社会で正しく生きることはなにか,コンピュータとの良好な関係はなにかについてともに考えていきましょう.

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